書窓風景

読書人のブログ

坪内逍遙『半ば意識しつゝ見る夢』

※以下の文章は、明治四十一年七月発行の『早稲田文学』に掲載された坪内逍遙作『半ば意識しつゝ見る夢』を、一部旧字体新字体に改めたり、かなに置き換えるなどして読みやすくしたものです。作品を広く知っていただくために、素人が趣味で打ち込んでいるものなので間違いがあるかもしれません。また、明らかに誤植と思われる箇所はブログ主の判断で訂正しています。(開いた括弧が閉じられていないところもありますが、どこで閉じればよいか判断しかねましたのでそのままです)

半ば意識しゝつ見る夢

 幼少の時に見る夢と丁年以後に見る夢とは誰れでもちがふに相違ないが、不眠症に罹つて以来の僕の夢は一種の癖が附いたやうに思ふ。此世智辛い世の中に夢の話でもないが、多少今の文藝問題に相交渉する所もあらうかと思ふから、話して見よう。
 誰れでも幼少の時にはどんな奇怪な夢を見ても、少くとも見て居る間には先づ夢とは心附かない。すなはち現と信じて見る。自意識の大きに発達してからは、夢も次第に穏かでなくなる所から、夢の最中に夢だなと心附くことが多くなる、で夢が早く破れる。これは当り前の事だが、僕の場合にはそいつが少しくこぢれて、癖がついて、或場合には半睡半覚の有様で持続する。夢だわいと心附きつゝ見続けてゆくと半分は自分の心のまゝの如く、又心のまゝでないかの如く、一種変妙来な塩梅に変化してゆき、最後にジメ/\とたはいもなく破れる。これが最後になつては最も激しくなつて、苦しくてたまらぬこともある。例の眠られないので、どうかして眠らう/\と苦しみ、うつら/\と煮え切らん夢心地になる経験からはじまつた癖で、時としてはをかしいにとゞまることもあるが、多くはうなされ気味、しかしすぐに夢と心附くから、自分で醒ます。近ごろはうなされるに至らぬうちに醒めてしまふ、いや醒ましてしまふ。この心持、これが(委しくは後に言うが)ロマンチシズム対自然主義の問題に触れて居ると思ふ。
 次に――如何にも突拍子もない夢を見て目が醒める。さあ、それからはまぢ/\と気が澄んで眠られない。つい考へはじめる。どうしてあんな夢を見たかと其晩又は其日に起つた出来事を回想しはじめる。大概は当りがつく。今までの経験では先づ全く当りのつかぬやうな夢を見たことはない、而も翌日になつて考へたのではどうしても因つて来る所を探りがたいほどに飄逸(とぼ)けた夢、奇怪至極な夢を見ることもある。世間には心理学者も説明しかねるやうな怪夢、昔所謂正夢といふやつもあるらしいが、蓋しそれは例外の例外で、大がいの人間の見る夢は因つて来る所の明らなのが多い。只其時の心的状態がおちついてゐないか、程経て因果の緒(いとぐち)を見失なつたかで、分らなくなる場合が多いので、或人々は今も尚夢を全然不條理なもの、又は時としては全く神秘なものときめてしまふ。これと似た事が現にもある。宇宙の大はしばらく措くとして、人生に関することが多少これに似てゐはせんか。如何にも其根底には大いなる神秘が厳として横はつてゐることは否みがたいが、所謂神秘好が神秘々々とおしならしてしまふ程にそれ程にザラに神秘ではないと思ふ。少しくおちついて思索すれば歴々として因縁果報が指摘し得らるゝことが多い。夢と現と豈軽々しく分つべけんやなどゝ思ひ出すと尚眠られなくなる。これが第二の癖。
 それからもう一つ。
 いやそれを話す前に先達て見た比較的筋の通つた馬鹿々々しい夢の話をしよう。半意識しつゝ見る夢の適例だと思ふから。もつともこれには由来があるから、つまらんことながら聴いてくれたまへ。
「実は此三月以来余暇を利用して例の舞踊劇の思ひ切つて夢幻的な奴を作つて見ようと思ひ、例の白面九尾の玉藻の前の伝説を調べはじめ、彼の安倍の康成に祈り伏せられて清涼殿に黒雲を巻起し、これを駆つて飛去るあたりを見せ場に使はうと案じはじめた所、さあ、どうしても趣向が纏らん。考へかけては棄て、案じかけては打捨り、一月ほど経つた。只阿呆の楽園式に筋を立てるのなら容易いことだが、在来の夢幻劇とは魂だけは全く入替へようとする所が、それがこじれはじめて、不眠が愈々募つて、或時三四夜つゞけて苦しめられた其の揚句、或夜二時を聞き、三時を聞き、四時を聞いた。もう考へる気などはとうに無い、只眠られんので苦しいばかり。そのうちに、やつとうと/\となりかけたが、また忽ち現に帰つて、嗚呼もう眠つた所で二時間とは寝られん、……明日は八時から学校のある日だ、七時前には起きねばならん……などゝ、思ふうちにうつら/\と寝入つたらしい。
 すると、いつの間にか自分は十才ばかりの少女となつて、垂髪で十二一重に緋の袴といふ打扮で、さめ/\゛と泣きながら(ほんとに涙を流してゐたかと思ふ)どこを指して行くのやら、只ひとりで行く。その道筋が妙で――何でも幅一間以上もあらうと云ふ長廊下――両側に部屋があつて、右手は記憶せんが、左手は十畳敷以上の室が幾間も学校の教場式に連なつてゐて、廊下なども奇麗に拭掃除が出来て居て、室も奇麗で、そこには老いたる若きまじりで婦人が大勢ゐて仕立物をしてゐる。少女に化けてゐる自分は一体何を悲しむのかといふと、不言不語の間に自分に一人の競争者があつて今度同じく玉藻前の扮装をして舞踊劇を演ずるのである、その衣装が格外に立派なものでとても/\衣装の点で競争が出来ない――(こんなやうな感じは性来嘗て何事につけても抱いたことがないから妙だ)――それが悲しいと斯う感じているらしい。この仕立物をしてゐる連中も其競争者側の者らしく(これは明瞭とは意識してゐなかつた)自分は恨めしさうに横目でそれを見て、其長い/\廊下をやつてゆき、やがて突当つて、右手の方へ曲がった――と思つたら忽然として局面が変つたらしい。いつの間にやら自分は少女ではなくなつた。不断の自分だ。無論泣いてなんざゐない。併しヤハリぶら/\と考へながらやつてゆく。「はて何としたものであらう。どうしても名案がつかぬわい。何かうまい趣向はないか。兎も角もあの女に遇つて聞いて見よう。」こゝであの女と指したのがをかしい。年ごろ七十位の、白髪の茶筅の、被布を着てゐようといふ老女。それが何処だか知らんが、やゝ都離れのした処に娘がたしか二人あつて住んで居る舞の師匠なので、僕の親類だ。(ト夢の中で思つたが、親類にそんな老女なぞは一人もない。地方の踊の師匠に回縁の者はあるが、まだ年は四十二三で、そんな娘などはない)。「あの師匠の舞は僕の好かぬ本行そつくりを俗曲に焼直した行き方で甚だ妙でないが、併したしか能の『殺生石』を翻案して拵へたものがあつた筈だから、とにかく参考に見て来よう」と考へ/\行く道筋が、左右は広々とした水田と云ふ田舎道。
 ややあつて摂州湊川の堤に似た所へ出た。おや/\、こんな処ではない筈だ。はて方角がつかなくなつたと不審に思ひながら、あちこちと廻り廻つたと思ふうち、ひよいと奇な景色の処へ出た。正面は樹木鬱蒼として生ひ茂つて――丸で森のやうに――太い幹が並んでゐる間から奥が透かせたやうだが、何が見えたか記憶しない。奇怪なことには其の木が皆水の中から生えてゐる。森の手前は一面に清らかな沼で、僕の立つてゐる足元まで水がピチャ/\ピチャ/\と来てゐる。右手はたしか田圃らしかつたが、左手には一軒の草葺の農家らしいのがあつて、何やらの生垣、田舎びた折戸まで附いてゐて、中には年増の女がゐる――と頭から想像して居た。
 これは妙な所へ出た。元来た時にはこんな所はなかつたがと思ふトタンに飛び込んで来たものがある。年ごろ三十前後のイナセな男――別当らしい――目くら縞の半纏股引、足袋跣足と云ふ扮装。「お別荘はこちらですか」と農家に向つて叫ぶと「あのお催しですか」と年増の声。「えゝ、田邊さんで。」(たしかさう云つたと思ふ)。「それなら、そこを渡つていらつしやればよい」といふやうなことを云つた。別当は其儘沼へ足を踏み入れたが、ヒョイ/\と渡つて森の中へはいつてしまつた。これはと思つてよく見ると、不思議や其沼の中に今までは気が附かなんだが黄金色に光る飛石がチャンと出来てゐるので、それを伝へば水は足の甲をぬらさぬほどだ。

  一寸断つておくが、此夢の話は寸分の拵へ事はない。目が醒めた時すぐに手帳に大要だけ書きとめたまゝである、しかし其の書く時分に処々細い点は忘れてしまつた。

 僕はふつと思つた。あゝこりや何か趣向だなとさう思つて又見ると、今までは目につかなんだが、沼の水ぎはに根府川石の大きな碑が立つてゐて、それに漢字で妙な文章が刻してある。さアその文句だが、その時には読んだ積りだつたが、元より無意義な文章なのでおぼえて居ない。何でも冒頭は十二三年といふので結末の一字が邊の字であつたことだけはたしかだ。こりやまるで野馬台の詩のやうだ、どうしたことだらうと思つてゐる最中に、バラ/\と又二三人駆けて来る足音が聞こえた。自分は其の時こちらへ避けたらしい。
 と見ると、いづれも二十三四の青年で、先に立つたのは洋服姿、後二人は日本服で書生風であつたと思ふ。「どこだ/\。ばか/\しいぢやないか。たゞ田邊ぢやわかりつこはない。全体唯人を呼んで置いて場所を知らせん奴があるか、失敬ぢやないか」と声々に罵つて腹を立てる。と、そのうちの一人が碑に目をつけ、「や、こゝに変なものがある、こりや何だらう」といふと、皆一度にそこへ寄ッたかつて頻りに首を傾げながら読んで見る。十二三年までは意味は通じるが、後は分らぬらしい。そのうちに一人が益々腹を立つて「遠方の処を引つぱり寄せておきながら、こんなに吾々を困らせると云ふのは無礼だ、とりもなほさず吾々を侮辱するんだ。帰らう帰らう」と云ふ。
 さてこの青年等の問答のうちに、たしかに煩悶とか自然主義とか云ふ言葉が交つて居たのだが、どういふ関係で用ひられて居つたか、又どんな事を云つたのか覚えない。畢竟目が覚めた時には碑文に重きを於て居たので、その文句を思ひ出さうと気を揉んだ結果、この邊の問答は忘れてしまつた。兎に角この問答を聞いてるうちに僕の心にフッと浮んだ「あゝ、こりや、園遊会だな。此屋敷の主人がキットこりや洒落者だ。園遊会に客を招いたが、当り前では面白くないから、故意と別荘の番地を知らせず客の智恵に一任して探し当てさせようとするのだ。先刻たしか田邊と云つたが此碑文の末の字が「邊」とある、十二三年は吉の字に当る――(この邊が又曖昧だ、何故十二三年が吉の字に当るかわからぬ)――だからこれは田邊の別荘といふ知らせだ。(吉の字と邊の字との関係も何かあつたが忘れた。)しかし此青年連は現代の人だからわからぬのは無理もない。こりや教へようか知らと思つた。が又考へ直して、教へちや折角の趣向の底を割るやうでわるい、まア様子を見て居よう。トかう思つて居ると――此間三人は何して居たか記憶しない――一人が碑の謎を読み得たらしい。「こりや趣向だよ、主人の洒落だよ、嘲弄ぢやあない」と云ふやうなことを云つて外の二人をなだめて居る。すると外の二人は腹を立つて「その趣向といふ事が癪にさはる。洒落とは何だ。人を弄ぶは不埒ぢやないか」と議論いよ/\烈しくなる。こらへ切れなうなつて僕は仲裁に入つた。「諸君が腹を立てるのは無理はない。併しこれは文化文政頃には普通の事で、所謂江戸趣味といふので、そのわけはかやう/\――何でも此邊で自然主義論に触れる事があつたと思ふが記えない――つまり此長談義で三人の青年はどうやら、心が釈けたらしい。
 と、突然僕は直ぐそまに居た洋服の肩へ手をかけ、耳の元へ口を寄せて沈んだ調子で「時に君、此趣向の全部を僕に呉れたまへ」と云つた。すると、三人は如何にも驚いた顔をして、何とも答へない。「外ぢやないが、此場面は新派の幕開に最も妙だ。よく本郷座あたりで園遊会の場を序幕に使ふが何時も紋切形で甘すぎる。同じ園遊会を使ふにしても、かう云ふ趣向の園遊会にして、それも丁度君達が江戸趣味を解しかねて腹を立てゝ居る所なぞから始め、それが廻ると園遊会の舞台面などは珍しからうと思ふ。是非くれたまへ。その代り君達は全く無意識になつてくれなくちやいかん、さうでないとこれが只の写生で、僕のオリジナルな空想にならぬ」と云ひかけると三人は目を丸くし「無意識になつてくれとは何だ、僕等の自覚を奪ふと云ふことはない」と非常な勢ひで腹を立ちはじめた。すると僕が、いつにない真面目な沈痛な声で「君達は知らんか。君達が斯うして居るのは悉皆僕の力だぞ。僕の言ふ通りになつて居れば、これから朝まで二時間余の間に、まだいろ/\な事を見せて、五十年の命をも呉れてやる、が若し否だと云へば是れつきりにする」と云ひもをはらぬうちに、洋服を着た一人が他の二人に目くばせをしたと思ふ間もなく「やっつけろ」と云つたかどうだか、立ち所に短刀をキラリぬいて僕の胸倉を取つた。他の二人もたしか左右から手をおさへたかと思ふ。起きて居る僕なら無論逃げ出したらうと思ふが、不思議に平然たるもので、おしつけられながら冷笑の態度で、洋服姿の顔を冷かに睨んで――その洋服の顔は今も目に残って居る、痩せぎすな、面長な、眼の馬鹿に大きくつて、どこやら日本人らしくない顔付――「何をする貴様等は、厭だと云へば貴様等の命はおれの一呼吸の間にあるぞ。おれが一つ声を立てれば貴様等は消えて無くなつてしまふんだ。」「何を」といふ勢ひで短刀を突きつける。「突くなら突け、声をあげるぞ――」といふと、向うはチョイとひるんだ。で我れ知らず声を放つて「京伝の黄表紙にもない――」と叫んだと思ふと、三人の青年がフラ/\と僕の傍を離れて右に一人、左に二人、ヘナ/\と靡いたと思ふうちに、雪達磨が消えるやうにジメ/\となりさうになつた。「おのれ逃がしてたまる者か、まだ用がある」と飛びかゝつた――のではない――心の中で取捉まへて、こりや面白い序に何か神経不思議な妙な形の物を作つてくれよう――といろ/\に骨を折つたが、さて如何しても顔が出来ぬ。腰から下は女になつたり、エタイの分らぬものになりかけたりしたが、顔だけは出来ぬ――と思ふうちに目が醒めてしまつた。
 さて、たわいもない長話であつたが、見様によつては、これに多少の意味があると思ふ。その前日に於ける僕の心的状態と無関係で此夢を考た時分には、その由来する所が如何にも不思議だが、醒めた当時すぐに因縁を探つて見たので大概は歴々として辿られた。先づ全体の筋が変幻を極めて居ると同時に多少筋が通つて居て流石に普通の夢とは同じでないのは、これ僕の頭が恰もこの類の作をしようと思つて居たからで、玉藻前が劈頭に現れて来たのもそれが為め。十歳の少女は僕の女(むすめ)で、それが十二一重を着て居るのは嘗て「鉢かつぎ姫」でさういふ服装をさせたのを連想したのであらう。衣装の競争云々は多分少女の情に同感する所から生じたかと思ふ。舞の師匠が白髪の茶筅なのは丁度其頃毎日派の劇評で見た久米八の微妙を舞の師匠と云ふ点から連想したらしい。娘二人云々と能がゝりとは嘗て宅へ招いた事のある泉祐三郎親子を連想したのである。湊川は思ひつかない。樹木鬱蒼は主として宅の庭からの連想で、水がピチャ/\は丁度その晩雨が降つて耳元へ雨垂が落ちて居た。野馬台の詩は「三国妖狐伝」に吉備大臣のことが出て居たので思ひついたらしく、江戸趣味、自然主義云々は云ふまでもない。馬丁も思ひ出せぬ。三人の青年の中の目のギョロリとした洋服は学校通いに屡々出遇う清国人、言葉が通じるやうで通じない所が眼目。他の二人は普通の学生、併し後に短刀を擬する云々は新聞紙に見えた悪書生から連想したのらしい。「朝まで二時間」云々は「あゝもうあと二時間と寝られない」からの連想。新派幕開だの自意識を奪ふ云々など皆一々説明は出来るが、管々しいから省く。
 さて以上を総括して考へると、始め無意識で見かけた夢を半意識して持続し、半無意識にしてこれを作為する事が出来ると云ふ事、これが一つ。次には一見不可思議と見ゆる事もよく調べて見れば大概可思議であると云ふ事、これが二つ。最後に段々自意識が鋭くなつて来ると幼時の如く全然たる夢を見る事は出来ぬ、忽ち醒めてしまふと云ふ事、これが三つ。
 このうち、真中のは既に前に説明したから残る二ヶ條を現在の文藝界の現象に当てはめて見ると、斯んなことが言へる。もはや全然たる空想文藝は夢と同じ道理で、もはや今人を楽しましむるに堪へない。今の自意識の熾んな人々に取つては彼のロマンチシズム式の楽園に遊神することは出来ても長くは続かない。其作に魔力さへあれば随分暫くは夢心地にもならうが、やがてフラ/\ヘナ/\ジメ/\と、消えはじめて現に帰つてしまふであらうといふ事。次には作者の頭の働きも将来は大に変るだらうといふこと。西洋でも十五六世紀の頃若しくはずつと下つてロマンチシズム全盛の頃には。作者の多数は、且つ其の最も傑れた者ほど半分夢を見るやうな心持で作をしたものが多かつたのだが、今は次第にそれがなくなつた。日本に於ても元禄享保から文化文政時代へかけては出来上つたものが全然夢幻的であるのみならず、作者の頭の作用そのものまでが先づは夢心地であつたのだ。推理的、分析的に想を構へて行くのではなく、云はゞ牡丹の花などが次第々々にふくらんで一朝パッと開くやうな塩梅に出来る時には、作者自らも驚き訝るやうに一時にチョイと出来た例が多い。沙翁の作、近松の作の或部分はたしかにそれだと思ふ。批評するには此理を察しないで余りに理屈詰に、近代式に評をすると飛んだ道具はづれの評になる。十九世紀になつての沙翁評が大概イリホガの力まけであるといふのも此理に基く。まだ何やらこれについて感じたこともあつたが、余り暢気らしいからこの辺で止めておこう。(談話筆記)

星野天知『紅閨の燈火』(自己流訳)

※編集中。恐らく間違いだらけですが、徐々に更新していきます。

 

 袖は露が濡らすと言い、露は袖が濡らすという。
 ふればこそ露も砕け、砕ければこそ袖も濡れるというものを、いったい誰がこの境を知るだろうか。今年この露が袖に砕けて我が庭を潤おすと、そこから白く美しい花が生えてきた。
 見たことのない珍しい花であったので、絵に写しとろうと毎日筆を持って庭へ出てみるが、この花はなぜか見るたびに姿が変わってこれという形がなく、かろうじて輪郭をまとめて一つ目の花びらを描き、二つ目の花びらに取り掛かろうとしても、一つ目の様子がたちまち変わっていくので、描き直しても、描き直しても、写し取ることができない。
 蝉の羽のように薄く透き通り、雪よりも白い花びらはまるで輝いているかのように見えるので、押し開いて内側の様子も見てみようと指をそっと触れると、たちまち薄紅を差したかのようにさっと花びらが赤くなった。
 これは不思議なことだと更に開いてみると、中は薄紫のところがあったり、紅梅色のところがあったり、朱鷺色、萌黄、うす藤色など匂いこぼれそうなほど様々な色に染まっている。
 蘂は鮮やかな紅色をして、こぼれそうなほどの露を湛えて絶えず動き、今にも風に吹かれて折れてしまいそうである。その動く様子はかすかな風のぬくみであるか、または蝶や蜂の羽が風にゆらゆらと靡いているかのようで実に趣深い。
 何も考えられないほどにぼーっとして、筆を取り落としたことにも気がつかないでいるうちに、その蘂はだんだんと大きくなって、やがて人が出入りできるほどの大きさになっていた。
 私は様々なことを忘れて煙のようにその中へと歩み入った。するとたちまち、まばゆいほどの宝石を散りばめた金の御殿へとやってきたのだった。
 きらきらと輝いている御殿の中は物静かで人の気配が全くなく、ちょっとした咳払いすらも聞こえない。一部屋を過ぎればまた一部屋、まるで仙人の世界にあると言われるような御殿のようで、香り高い樹木や、見たこともない草花が庭に満ちている。
 長い朱塗りの回廊を巡り、ぼんやりと歩いているうちに、奥殿と思われるところへ出た。
 何となく心が咎めるような気がして、周囲に遠慮するような気持ちも湧いてくるが、既にこうして踏み込んでいるのだから、今更逃げようもない。行けるところまでは行き、歩ける限りは歩いてみよう。
 もし人にあったらこちらから捕らえてやり、見つかったとしても私のほうから叱りのけてやろう。けっして、私の衣が粗末でこの御殿に似つかわしくないと思って気後れしたのではないし、自分の魂の尊さを忘れ、私はこのようなところに住めるようなものではない、などと思って怖気づいたのではない。世の中の事情が心を悩ませるのだろうか、心が世の中を苦しいものとするのだろうか。勇気がないことを冷静に観察するのも人の心であるが、弱々しいことを望むのもまた人の心である。
 粗末な衣を着ているからと言って、どうして金の御殿に気後れする必要があろう。ボロボロの窓はどうして錦衣を怖れなくてはならないのだろうか。汚れきった血を金殿に塗り、醜いものが良い衣を着ていることを誇っているような世なのだから、私は粗末な衣を着ていても金の御殿にいる資格があるし、卑しい生まれであってもこの仙境に恥じたりはしないのだ。
 どんなことも弱気でいてはできるわけがない、振り返る前にまずは突き進んでみようと首を上げて扁額を見ると、そこには「玉寝宮」と書いてあった。
 鮮やかな錦の幕が深く垂れている向こうから、明るい燈火が漏れ出でている。その上大変良い香りが漂ってきて、心をときめかさずにはいられない。
 幾重にもかけられた幕をひっそりと開き、体を深く部屋の中へと忍ばせていくと、不思議な仙気が肌にしみて、目がくらむほど鮮やかな彩りの寝所が見えた。
 屏風の陰から恐る恐る寝所を窺って、思わず一歩退く。
 そこに、この世のものとは到底思われない若く美しい人が横たわっていらっしゃったからである。

星野天知『紅閨の燈火』

※以下の文章は、明治二十七年九月発行の文學界に掲載された星野天知作『紅閨の燈火』を、一部旧字体新字体に改めたり、原文にはない句点を補うなどして読みやすくしたものです。作品を広く知っていただくために、素人が趣味で打ち込んでいるものなので間違いがあるかもしれません。原文は筑摩書房から出ている『明治文學全集32 女學雑誌・文學界集』でも読むことができます。

紅閨の燈火

 袖は露がぬらすといひ露は袖がぬらすといふ。ふるればこそ露も砕けくだければこそ袖もぬるゝものを、誰かはこゝの境を知らん。
 ことし此露袖に砕けて吾が庭を湿ほすに、其所より白く美しき花生ひ出たり。類ゐなく見えしかば絵にも写し採らんと日に/\筆とりて出て見るに、此花何故にや見る毎に変りて常の形なく、辛ふじて輪郭をまとめ第一の花びらを描きつ。やゝ第二の花びらに筆を染めんとすれば、第一のものは早や変りゆきて描き直せども/\写し難し。蝉の羽のように薄く透りて雪よりも白き花びらの輝くばかりに見へしかば、押ひらきて内のさまも見んと指をそと触るゝに忽ちうすべにをさしたらんようにさと赤らみぬ。こは怪しと尚開き見るに、中はうす紫なるあり紅梅なるありときいろ萌黄うす藤など匂ひこぼるゝまでにいろ/\染め出たり。蕋は鮮やかなる紅ゐにてこぼれんまでの露をたゝえつ絶へず動きて風にも堪へぬさまなり。其動くやかすかなる風のぬくみかはた蝶蜂の羽風にゆら/\と靡くさま優にあはれない。
 たゞ何事をも思はぬまでにまぼりつゝ筆とり落すも知らざりしに、其しべ漸く大きう成りてやがては人の出入するよふ成りけり。吾れはよろづの事思ひ忘れて身は煙のように其中へと歩み入りけん。忽ちまばゆきまで珠をちりばめたる金殿へと入り込みぬ。こう/\たる殿中のさま物静かにして人のけはひ更になく、しはぶきさへも響きぬべし。一室を越ゆれば又一室、仙境にありといふ殿めきて香木異草庭に満ちたり。長き朱の廻廊をめぐりてをぼろげながら歩みゆくに奥殿めきたる處へ出でぬ。何となく心咎むるようにてあたりに憚る心もするなり。されど一歩踏みこみしからは今更のがるゝ路あるべきや、往くまでは行くべし歩めるかぎりは歩みても見ん。人に逢へばこちより捉へてやり、見つかりたらわれより叱りのけん。苟且にも心臆したるは吾がきぬの賤しくて此殿にふさはしからず思ひしに由らずや。さらずば吾魂の尊きを忘れて金殿に住み得ぬものと自ら卑しめし怯気ごゝろにあらずや。浮世はこゝろをなやますか、こゝろは浮世を悩ますか。果敢なきを観ずるは人の心なれどはかなきを頼むも人の心なり。敝衣何ゆへに金殿に臆する、破窓何ゆへに錦衣におぢるか。汚血を金殿に塗り醜塊なほ錦衣に誇る世のさまなるに、吾れ敝衣なりとも金殿にほこるに足るべく、吾れ俗骨なりとも此仙境に愧ることをせん。何事も心弱くてかなふべからず、顧るより先づ勇徃せんとこゝに首をあげて扁額を見れば、玉寝宮と読まれたり。錦の幕ふかく垂れて燈火あかく漏れ出でぬ。蘭麝といふものゝ馨りさへ身を襲ふて心ときめかずといふことなし。密かに幾重の幕をひらきて身を深く忍ばすれば奇しき仙気膚にしみて綾の紅閨たゞならず見ゆ。屏風のかげより恐る/\閨の内を窺ふに思はず一歩退きたり。そは妙齢の御姿、此世のものとも思はれぬ美形の横はり給えばなり。

  あてやかなるおもてを惜げもなく燈火におし向けてすや/\と眠り給ふは、いかなる香世界に遊び給ふか。暑くおはせばや天女の翅のようなる白き薄ものに真紅の御肌着をすかさせ給ふてわざと覆ひものを取のけたり。羽二重ぎぬの富士額にふツさりと乱れこぼるゝ黒髪の下よりなだらかなる濃き眉の遠山がたに現はれて、開かばいかに人を悩ますらんと見ゆるまなじりも美くしく、鼻と口の尋常にしてひきしまりたるも見ほるゝばかりなるに、ほんのりと紅さす頬のあたりより頤にかけての肉着き得もいはれず。なり恰好の小さきも一しほ可憐なるに、手足のつまはづれは名工の石像にも似てあえかなること言ふべからず。暫くこれを見る程に浮世ごゝろを忘れ果てゝ天の美禄に酔ふにも似たり。人とも思はれず神とも思はれず、たゞ心のすが/\しくなるようにて想ひも清く胸の野心も拭ふが如し。
 いかなれば斯くいみじきものありけるよ、怪しき光りを放てる此燈火のゆへにはあらずか、余りといふも余りにて疑ひの心も出で来るなり。足を忍ばして燈火に近付き見るに、まどかなる火燈しにて両面に水晶の板をはめたり。ひとつらはつゆ曇りなき無色のものを用ひ、一面は黒く透きたるものを用ひたり。今閨を照らせるは此鮮やかなる無色の方にてありし。燈油は血のように赤くて沸きあがり焔ほはすさまじく五つの色に燃えたり。五十本の燈心危ふくも燃えゆくに之れを辛ふじて抑ゆる重子とも見ゆるものはさま/\なる『希望』といふ字を写し出したる鏡のようなるものなり。なほこれをつら/\見るに赤き青きくろみどりなる、或は黄なる紫なる、いろ/\に燃えあがる炎ほの真中に鋼鐵を熔したるやうなる色にて『運命』と読まるゝほのほは焔々と燃えて、五十の燈心を燒きては灰と為し塵埃と為し、たゞ一縷の白気其たびに登り去りて油も其きわに煮えあがりては又空しく燈心を浸すのみ。何とはなく吾身を嘲けらるゝやうに人の世をも顧みらるゝなり。

  目も射らるゝしろかねのようなる無色の光りめでたきに付けて、此黒き方はいかに照らすらん試みばやとの稚児ごゝろ止み難く、火燈しをふりかへて閨に向ればこれも昼よりあかく照らしたり。姫はいかなる寝姿にておはすらむと見るに、あなうたてや、美しき衣と見へしは荒たへの破れきぬにて、あえかなる姿はおどろ/\しきものと成り、形相すべて舞樂の鬼女といふ仮面のようにて、嫉みのまなじり謗りの口もと忌まはしく裂けあがるに、額に邪慳の角生ひ出で髪は千線のくちなはと成りて舌を吐くもすさまじ。翠帳紅閨すべて地獄の絵巻物にあるものを活し出して永遠不滅の硫黄の火も燃ゆるよう見へたり。身の毛いよ立ちて魂消ゆるように身は震はれぬ。たゞ怖れにおそれて今更爰に入込みしを悔ひ、足をそらに遁れ出んと踏出しが先きに火燈しを動かすとて血の油を僅に指に染めたるもの、爰に一髪のきづなと成りて心曳かるゝようにふり返り、『希望』といふ字の今一度見たくて又もとに歩み帰りつ。再び火燈しをふりかへて無色なる方を閨へと向けぬ。火は動かす毎にます/\照り出でゝ暑さも室に満ちぬべし。おそろしきものは尚ほ見たく姿はいかにと窺へば、こは又怪し。いつかは元のあえかなる姫と成りて尚ほうまゐし給ふなり。身をやゝ近付けてほれ/\と見る程に、姫はねやの暑さにいぎたなく、眠りしまゝに帯ひき捨てゝ白きうすものは更なり燃え立つ斗りの緋の下着さへ掻やり給ふ。知るや知り給はずや、おしげもなく玉の肌を現はし給ふて人憚らぬ御寝姿、さすがに打愕くまで思ひ惑ふて一たびは遁げ出しが、又更になつかしくてそと立もどり見る。雪より白く輝きし御膚さへあるに、ふくよかなる肉つきなよゝかなる骨ぐみいづれか配合よろしからぬはなく、目もくらみ骨もとけ、ひたぶるに胸とゞろきて唾を呑みこむばかりに血は昇りぬ。人ならば人にてもよし石ならば石にてもよし。神にても魔にてもよし。いかで神を宿せる皮肉ならずば此こう/\しき美を現はすべき、先きには魔にしてこゝには神なり。此の燈火のなぞ怪しきや、いづれ女神に魔の宿るものか魔にこそ女神の宿るにやあらん。さりとも此燈火に神と魔との照らすものあるに由るか、姫のおもてはいよ/\輝くように照り始めぬ。
 あらゆる汚れの塵は皆照り消されて俗気は骨より拂ひ去られ、たゞうつゝ心に分くよしもなく、膚が美なるか美が膚なるか、はた又吾れが美なるにあらずや。此美この心に宿りて更に此美を描かば、いかに天魔地魅を愕かしいかに世の醜鬼穢賊をや恥殺せん。筆はあらずか紙はありや、一代の名画此機に成らざることのあるべき。萬骨は尚砕かるべし一代の気魂やわが亡びんやと傍へを見れば、真珠の硯に珊瑚の筆さへ建てられたり。取りあげ見れば軸に白き文字ありて『此筆舐めれば人界に堕落せん』とあり。吾れは人間なるを欣ぶにこゝは人界に堕るを悲むか。イデンの園の栄華をなほ吝みて濁水を呑むの勇気なきか『死』といふ門開かれてよりなべての人界に眼は明きぬ。罪の木の実に憂きは増すとも是が為に又此神姫を見るを得たり。吾れは人間なれば更に又堕落することやある。去りながら今こそ此美宮に入込みては暫し神とも成りしに非ずや、胸に人ほどの汚れも去りしは仙者と成りし故にあらずや。舐らぬにますことなしと思ひ定めつ、意気ます/\昂りて美の神をも愕かしつべく、気焰天宮をも衝かんず勢もて硯に呵し筆を叱すれば、見る/\乳房のむッくりしたる、肩先き胸のいき/\たる、心に応じて筆に落ればいよ/\満肚美に溢れて阿吽の気息音もせず。腹のあたりふくよかなるいしきのほとり豊かなる、ます/\描きてます/\神ほねに入り、身はいづこに在るを知らず。我は宇宙に満ちひろごりて画面おのづから肉動くに似たり。一気更に呵して思はず墨を含みつゝ更に筆を舐る程こそあれ、心俄にむら雲立て悪酒に酔ふたる血の如く、胸は早鐘のように気は荒立ち満身情火燃えて筆噛み砕き、つく/\見居たる姫の膚に狂ふが如く近付くよと見ゆる。物をも言はずひしと抱き着き情火の膚を触ればやと一指先づふるゝや否や、怪むべし天地鳴り動きて天柱地軸も一時に裂けん斗りに震ひ出て、白気殷々と閨に立登りて身は千里の外に投げ出されぬ。

  狂乱煩悶の心やゝ鎮まりて目を開けば、身はもとの吾園に倒れ伏し、かの怪しき花は凋みてうなだれたり。手には尚ほ珊瑚の筆を握り居るにぞよろづ現のように思ひ乱れぬ。さるにても惜しきは書きさしたる彼の画なり。神韻凝りて百代にも流れつべき気機は得たるに人の心の獣にも似たるよ、身は神宮に没しながら烈しき美の神の戒めを破りてこゝに純美の境を失ひしか、一顆の木の実を喰ひしも一管の筆を舐りしも神の怒りや同じきか、罪といふもの抑/\皆かゝるものにあらずや、思ふに此筆こそ浮世の白壁に『罪』といふ字を書きそめしものなるべし。憎き筆よと噛砕きてひき抜き捨て、舌にふるゝまゝふツと一ふき吹けば墨滴飛びて凋みかゝりし其花を染めぬ。誤ちせりとあはたゞしく拭ふに消へず汚点はながく止まりて皆『罪』といふ字に現はれたり。愕くまで哀れにてさすが悔ゆる心も出て、持たる筆の管を捨ればから/\と音して中より小さき鐵ねのまるけしもの転び出でぬ。取りあげて見れば毛彫りのような文字見へてPassionとこそは読まれし。(完)

馬場孤蝶『文藝作品の検閲』(感想)

北村ミナ先生の記事を目当てに購入した『早稲田文學』第三十二號(明治四十一年七月発行)に収録されていました。

大陸文学の英訳出版者として有名なビゼッテリーさんが、ゾラ作品の出版で裁判沙汰になってしまったことを書いています。
告発した者も裁判官も文芸を全く理解しておらず、オリジナルを読むことすらできないくせに開かれた滑稽な裁判で、どこそこのくだりが 風俗を壊乱するだのなんだの言われて困ってしまったという話です。
しかしながら、その後英国におけるゾラの名誉は回復し、どしどしと作品が出版されるようになりました。

孤蝶曰く、

要するに吾々から見ればゾラの著作の発売禁止に関する裁判は至当な所置であるか否かは措いて、当時の裁判官及び弁護士など云ふ者が如何に文学を解しえなかつたか、如何に不完全なる知識の下にさう云ふ裁判を下したかと云ふ事がわかる。
多くの場合裁判など云ふものは、余程うまくやらないと形式に流れ易い者だから、殊に文学が人心に与へる影響に関し裁判を下すと云ふ場合になつて来ると、裁判官及び弁護士が第一に芸術がよく分かつて居ないといけないし、なほその上に広い人生の知識、語を捴へて云へば充分に人情に通じて居なければいけない。

とのことです。
また、とあるシーンの台詞が風俗に反するといって発売禁止になった日本国内の書物にも触れて、

これ位な事を云ふのは世間に有り勝ちな事であるから、さう云ふ事をやつてる奴は昔からやつて居ようし、それを見て今からやらうとする奴がその小説を読んだゞけでどん\/殖える気遣ひはあるまいと吾々は思ふ。

とも言っています。現代にも通ずる部分がありそうですね。

最後に、少し長いのですが、印象的でメッセージ性の強い締めの部分を引用します。非常に考えさせられる意見です。

であるから、政府の役人が想像せられる如く文芸がさう\/普通の道徳行為に影響するやうな事は少ないのである。今の学生の風儀が乱れるやうになつたのではなくして、社会の進歩から教育の範囲の拡張から風俗の悪い人まで学生になる事になつたのである。所でその風儀の悪い人間が皆堕落してしまふかと云ふに、さう云ふ人々のなかからでも、教育の結果で風儀がよくなつて立派な人間になるのはいくらもある。であるから、このまゝで進んで行けばだん\/風儀の悪い人間は減つて行くわけになる。教育は云はゞ薬である。いくら薬がよくつてもお医者がよくつても救はれない病気があると同様に、如何なる教育の制度を以てしても、如何なる教育家を以てしても、その学校なりその教師の下から堕落した人間を一人も出さぬと云ふわけに行くものではない。だから少し位学生の中から悪い奴が出たところで少しも恐れるには及ばぬ。吾人の考では善人が社会にないと困るように悪人も少々ないと甚だ困る。世間の事はさう窮屈に考へてはいかぬものである。人間を扱ふ裁判官或は政治家などは、さう云ふ点に充分注意をして貰ひたい。

はじめに

文芸雑誌『文學界』は、星野天知・島崎藤村らによって明治26年に創刊されました。
わずか5年で廃刊となりましたが、藤村は、この文學界時代のことを『春』という小説に詳しく書き残しています。『桜の実の熟する時』は、春に至るまでの物語です。

このブログは主に、上に記した2冊の小説と、モデルとなった現実の文學界メンバーの作品に触れつつ、気のむくままに読書記録などをしていこうと思って作りました。
ときには間違いもあるかもしれませんが、のんびりお付き合いいただければ幸いです。