書窓風景

読書人のブログ

星野天知『紅閨の燈火』(自己流訳)

※編集中。恐らく間違いだらけですが、徐々に更新していきます。

 

 袖は露が濡らすと言い、露は袖が濡らすという。
 ふればこそ露も砕け、砕ければこそ袖も濡れるというものを、いったい誰がこの境を知るだろうか。今年この露が袖に砕けて我が庭を潤おすと、そこから白く美しい花が生えてきた。
 見たことのない珍しい花であったので、絵に写しとろうと毎日筆を持って庭へ出てみるが、この花はなぜか見るたびに姿が変わってこれという形がなく、かろうじて輪郭をまとめて一つ目の花びらを描き、二つ目の花びらに取り掛かろうとしても、一つ目の様子がたちまち変わっていくので、描き直しても、描き直しても、写し取ることができない。
 蝉の羽のように薄く透き通り、雪よりも白い花びらはまるで輝いているかのように見えるので、押し開いて内側の様子も見てみようと指をそっと触れると、たちまち薄紅を差したかのようにさっと花びらが赤くなった。
 これは不思議なことだと更に開いてみると、中は薄紫のところがあったり、紅梅色のところがあったり、朱鷺色、萌黄、うす藤色など匂いこぼれそうなほど様々な色に染まっている。
 蘂は鮮やかな紅色をして、こぼれそうなほどの露を湛えて絶えず動き、今にも風に吹かれて折れてしまいそうである。その動く様子はかすかな風のぬくみであるか、または蝶や蜂の羽が風にゆらゆらと靡いているかのようで実に趣深い。
 何も考えられないほどにぼーっとして、筆を取り落としたことにも気がつかないでいるうちに、その蘂はだんだんと大きくなって、やがて人が出入りできるほどの大きさになっていた。
 私は様々なことを忘れて煙のようにその中へと歩み入った。するとたちまち、まばゆいほどの宝石を散りばめた金の御殿へとやってきたのだった。
 きらきらと輝いている御殿の中は物静かで人の気配が全くなく、ちょっとした咳払いすらも聞こえない。一部屋を過ぎればまた一部屋、まるで仙人の世界にあると言われるような御殿のようで、香り高い樹木や、見たこともない草花が庭に満ちている。
 長い朱塗りの回廊を巡り、ぼんやりと歩いているうちに、奥殿と思われるところへ出た。
 何となく心が咎めるような気がして、周囲に遠慮するような気持ちも湧いてくるが、既にこうして踏み込んでいるのだから、今更逃げようもない。行けるところまでは行き、歩ける限りは歩いてみよう。
 もし人にあったらこちらから捕らえてやり、見つかったとしても私のほうから叱りのけてやろう。けっして、私の衣が粗末でこの御殿に似つかわしくないと思って気後れしたのではないし、自分の魂の尊さを忘れ、私はこのようなところに住めるようなものではない、などと思って怖気づいたのではない。世の中の事情が心を悩ませるのだろうか、心が世の中を苦しいものとするのだろうか。勇気がないことを冷静に観察するのも人の心であるが、弱々しいことを望むのもまた人の心である。
 粗末な衣を着ているからと言って、どうして金の御殿に気後れする必要があろう。ボロボロの窓はどうして錦衣を怖れなくてはならないのだろうか。汚れきった血を金殿に塗り、醜いものが良い衣を着ていることを誇っているような世なのだから、私は粗末な衣を着ていても金の御殿にいる資格があるし、卑しい生まれであってもこの仙境に恥じたりはしないのだ。
 どんなことも弱気でいてはできるわけがない、振り返る前にまずは突き進んでみようと首を上げて扁額を見ると、そこには「玉寝宮」と書いてあった。
 鮮やかな錦の幕が深く垂れている向こうから、明るい燈火が漏れ出でている。その上大変良い香りが漂ってきて、心をときめかさずにはいられない。
 幾重にもかけられた幕をひっそりと開き、体を深く部屋の中へと忍ばせていくと、不思議な仙気が肌にしみて、目がくらむほど鮮やかな彩りの寝所が見えた。
 屏風の陰から恐る恐る寝所を窺って、思わず一歩退く。
 そこに、この世のものとは到底思われない若く美しい人が横たわっていらっしゃったからである。